水道の歴史
昭和29年2月
川西町、東谷村、多田村が一緒になって川西市が誕生したのは昭和29年8月。
その半年前、となりの池田市から水を送ってもらっていた川西町として、はじめて水道ができました。
昭和33年1月
出在家町付近に「松山浄水場」が完成しました。
これで池田市から水を送ってもらわなくても、川西市で水が作れるようになりました。
昭和42年4月
この頃、川西市では団地開発などで急に人口が増えてきました。
そこで滝山町付近に新しい「滝山浄水場」をつくることになりました。松山浄水場と同じ猪名川からの水を飲み水にしていました。
昭和55年3月
久代3丁目付近に久代浄水場ができました。
猪名川の水ではなく井戸からくみ上げた水をきれいにして、市の南部地域に送っています。
昭和57年10月
兵庫県営多田浄水場が完成しました。
多田地区などに水をくばるようになりました。
昭和59年3月
川西市北部地区に一庫ダムができました。
洪水の被害を少なくし、雨の量が減って水が少なくなった時に農業用や水道用の水を生み出す目的をもったダムです。
平成元年10月
松山、滝山浄水場が廃止されました。
かわって多田浄水場の水を市内にくばるようになりました。
平成7年1月
阪神大震災が発生しました。
水道管や下水道管などがこわれて、約7,000の家で水が使えなくなりました。
平成14年8月
この年は全く雨が降らなかったため、一庫ダムの水もかなり少なくなる渇水になりました。
たくさんの人にお水を大切に使うようにお願いをしました。
下水道の歴史
昭和41年4月
猪名川の水質をまもるため、川西市、豊中市、池田市、箕面市、伊丹市の5市で汚水をきれいにする「原田処理場」を豊中市に建設しました。
昭和43年12月
川西市の公共下水道事業がスタートしました。
昭和44年4月
当時、川西市にたくさんあった皮革工場からの排水を処理するため「火打皮革汚水前処理場」ができました。
昭和49年10月
原田処理場につなぐ猪名川流域下水道に、川西市で初めて小戸・美園・小花地域の汚水が流せるようになりました。
昭和49年10月
川西能勢口駅周辺で大雨が降った時に、川より低い場所にある家に、雨水が浸水しないようにするために「前川雨水ポンプ場」をつくりました。
昭和56年3月
加茂地区のお家などで大雨が降った時に、川より低い
場所にある家に、雨水が浸水しないようにするために「加茂雨水ポンプ場」をつくりました。
平成18年3月
皮革工場がなくなったため「火打皮革汚水前処理場」が休止になりました。